ポンペイの遺跡
Pompei


西暦79年8月24日、ベスビオ火山の大噴火で南東10キロに位置したポンペイの町は火山灰に埋もれてしまいました。その後、およそ1700年の時を経て始まった本格的な発掘によって、時が止まったままの古代都市が出現しました。発掘によって現れたポンペイの町は、整然と区画され、住居はもちろん、劇場や公衆浴場、下水道まで完備されていました。人口1万人以上と推定される町には、壁画やモザイク画、市民が記した落書きなどが当時のまま残されていて、ローマ帝国の市民たちの贅沢で、享楽的な暮らしぶりが想像できます。
入り口近くにアポロン神殿がありました。

次の写真は公衆浴場です。壁や天井の装飾も素晴らしくまた衛生的だったようです。壁に描かれた絵はかなり風化してしまっていますが、色が当時のまま残っていたらどんなに綺麗だったでしょうね。日本では弥生時代にこのようなものが作られていたわけですから、本当に驚きです。
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下の写真2枚はパン屋さんです。臼やオーブンは石でできている為、腐敗せずに残っり、パン屋さんだとわかったのですね。街ごと残ったこの遺跡にはあちこちパン屋さんがあるそうで、写真はそのうちの1件です。
左の写真はバーです。
丸いところにワインの瓶を置いたとか。

次はお金持ちの住宅です。壁に直接絵を描いたもの(フレスコ画)は、ダビンチの最後の晩餐のように有名なものもありますが、そのフレスコ画が住宅の中にもありました。富裕層の人たちは自宅にまで画家に描かせていたのですね。

次の写真、何だかとっても混んでいるようで、人気スポットかと思いましたらなんと風俗店の跡。こんなものまでこの時代からあったとは・・・。




ここは大通りです。すでに歩道と車道
(馬車の通る道)が分かれていました。
歩行者の為の飛び石もあります。

商店の看板のようです。



ここは商店街ですが戸があったようです。

水道管でしょうか。

この穴で馬の手綱を止めたそうです。

遺跡はこんな感じで続きます。


背景にベスビオ山が見えているこの広場は、フォーロと言い、人々が集会に利用されていたそうです。



逃げ遅れた人々は吹きつけた高熱のガスで窒息死し、その上に灰が降り積もりました。発掘調査中に奇妙な空洞を見つけた研究者はその空洞に石膏を流し込むとそれは人間の形をしていて、死の瞬間の姿を浮かび上がらせたのです。降り積もった火山灰は硬く固まり、肉体が朽ちて空洞が残ったのです。石膏の人型は、一瞬にして平和な日々を奪われたポンペイ市民の悲劇を伝えていて、ポンペイの遺跡は、はかない人間の宿命を物語っている世界遺産でもあるのです。

目と鼻を押さえています。

苦しんでいる犬の姿が。。。




団体旅行でしたので、広い敷地内のほんの一角しか見学できませんでした。それでも相当歩きました。全部見学するには1日はかかりそうで、足も痛くなりそうです。夏はとても暑くなるそうですが、ゆっくり見学されたいかた、興味のあるかたはここは個人旅行をお薦め致します。








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